泥水を飲む経験はあるか

2018年3月1日 木曜日

早嶋です。

何事もゼロから立ち上げた場合、計画の3割いけばかなり良い方で、実際は1割り程度進んだかと思えばまたゼロリセット。場合によってはスタート地点よりも遡ることだってしばしば。当たり前ですが、新しい取り組みは、想像もつかないことがおきて前に進みません。それでも日進月歩で仮説と検証をひたすら繰り返していく内に徐徐に道がひらけていきます。

取り組みはじめて半年、1年はひたすら信じるのみで、空回りしても動くしか術はありません。ここで生き残っていれば次の2年、3年と徐々に仕組みが出来上がります。それでも常に何か新しいことにチャレンジして状況の変化を先読みしながら試行錯誤を繰り返します。これが創業の醍醐味でもあり、苦しい世界でもあります。

現在、多くの若者は出来上がった仕組みの上で何かをはじめています。しかもその仕組みは半自動化、半機械化されており、結構のことが標準化されているため、あまり知識や経験が無くても、いきなり出来てしまいます。これがある意味恐ろしいのです。

標準化や効率化は過去の先人たちの知恵の塊で、幾重に失敗を重ねた結果出来上がったものです。しかし、その過程を知らない若者は、あたかも自分たちがすごいのではと勘違いしてしまいます。従って、そつなくこなす一方、その仕事が時に作業になり、アウトプットは可も無く不可もない、無味乾燥なものになってしまいます。

また、取り組み事態が案外と簡単であるため、自分で努力することを知りません。極端な場合、泥水を飲んでも生き残るようなガッツも無いし、そのような状況になる前にくちています。非常に心配です。若い人の感性や考え方は非常にスマートで創造的な思考も確かに備えていると思います。

しかし一方で、50代、60代のおじさんたちのガッツは尋常ではありません。自分たちの状況を理解しどん底になったとしても、どうにかして前に進む術を知っているし実際に行動に移すことをためらいません。使えないという若者もまれにいますが、そのようなガッツは彼らには到底真似できることでは無いでしょう。

若者とおじさん。どちらも一長一短があり、お互いが補完できる関係なのですが、水と油のように交わりません。このまま今の若者が突き進んだとしても、そこに工夫や努力や失敗の積み重ねがなければ、それは標準化の延長でなんら面白みのない成果しか出さないのではないかと。私もおじさんの思考になっています。



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