グッチグループ

2015年8月17日 月曜日

グッチの経営は、2000年前後に天才肌の経営者のドメニコ・デ・ソーレとこれまた天才的なデザイナーのトム・フォードの2人体制で低迷していたブランドの再生を果たしました。

徐々にグローバルブランドとしての認知が高まり世界市場での存在感を高めていくと、世界最大のラグジュアリーコングロマリットグループであるLVMHがグッチに興味を示します。

1998年から1999年にかけてLVMHはグッチの株を買い集めます。当時の推定で14億ドル。そして株式比率が34.4%になりLVMHはグッチの筆頭株主になります。

当然の流れとしてLVMH側はシェアに応じて取締役の任命権をグッチの取締役会に主張します。対してドメニコ・デ・ソーレは新たに従業員持株制度を導入して3700万株を発行し、LVMHの持株比率を25.6%まで薄めようと企てました。いわゆるESOP(Employee Stock Ownership Plan)、もしくはPoison Billです。

これに対してLVMHは阻止するための訴訟を起こしてグッチ買収劇が泥沼化します。このストーリのメインディッシュは、フランソワ・ピノーの出現によって一気に流れがかわります。当時欧州最大であった現ケリング(当時のPPR)の会長であるフランソワ・ピノーがホワイト・ナイトの役割を担ったのです。

ピノーは当時、収益率が高いラグジュアリーブランドに興味を示していたため、デ・ソーレが水面下で持ちかけた話しに利害が一致します。結果、PPRはグッチの株を29億ドルで買い取り、持株比率を40%の筆頭株主になりました。

その後、PPRの資本参加になったデ・ソーレは数々のラグジュアリーブランドの買収を行い、グッチグループを形成したのです。

LVMHのグッチへの買収劇と裁判は長々と続けられます。最終的には2001年9月に和解しています。その内容はPPRがLVMHの出資分を高額で買い取り、かつPPRの持ち分意外に高額な配当を出すというもの。それによって、LVMHは今後グッチの経営を妨害せず法廷闘争も行わないという内容でした。

結果的にLVMHは一連の取引で6億ドルを取得した形になりグッチ経営人からするとLVMHはグリーンメーラーとして退出したのです。



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