遊びの哲学

2012年4月24日 火曜日

遊びの感覚で仕事ができるヒトは高い付加価値を生み出す可能性が高い。世の中にはライフワークとライスワークがあり、前者は遊びが仕事で、後者は生活のために仕事をする。

この定義の出所はさておき、遊びで取り組んだアウトプットは非常に高い。ここで言う遊びは、ふざけている言葉ではなく、その行動に心底熱中している状態が永続している状況です。本人に取っては遊びなので、様々な無駄なアイデアが生まれて、絶対に誰もしないようなことに真剣に取り組む。結果、だれもが考えつかないようなアウトプットが出来る。誰でも考えつくけど、だれも実行しないことに取り組む。その行動自体が遊びだから永続的に活動が続く。常にアウトプットが改善される。

感覚が遊びであるが故にできること。


近年、ライフワークの一環として伝統工芸の技や老舗の看板を受け継ぐ経営者とその伝承の仕方を考えるワークショップを継続している。伝統工芸を世の中に残す!とか、地域の活性化をはかり、地元に賑わいを取り戻す!とかいうミッションは確かにある。しかし、そこに集まる人たちは、そのこと自体を楽しんで行っているようだ。従って知恵が出る。そして、やってみる。ライスワークではないから、ある意味無駄だらけ。

でも、伝統や老舗から無駄を取ったら何が残る?と良いながら、ヒトから見たらしょうもないという細部まで拘ってみる。皆が持っている知恵を一つのアウトプットに集結したら何ができる?伝統の世界から伝統の領域を互いに行き来したら何ができる?そう、結果、素晴らしいアウトプットの連続。

はじめからコストリーダーシップで考える訳でもなく、差別化戦略を取る訳でもない。そもそも市場がニッチで、そのヒトたち以外にその技をもつヒトがいない。つまり、競争の概念がない。勝手に工場で生産される大量生産の粗悪品を敵にするから競争相手がいるだけで、そのようなモノを購入する消費者をはじめから相手にしたい。そう、究極のニッチ戦略。だから徹底的に拘り、徹底的に遊ぶ。世の中の万人の声には耳を傾けず、分かってくれるヒトが1人でもいれば大丈夫。そんな世界のアウトプット。

伝統や老舗の歴史はお金では買えない。本物が好きな人は回帰する。粗悪品や工業品は時間が経てば陳腐かするけれど、本物は時間の経過とともに熟成する。そこに価値がある。



コメント / トラックバック4件

  1. 椿事 より:

    ぼくは剣道をしていました。防具一式は、子ども用で数万円、大人用の高級品になると数十万円もします。最近6段を取った知人(40代)がいますが、防具を5セットも持っている。いずれも高級品です。さらに高名な職人に、100万円で発注しているそうです。もう数年も待っているが、まだ出来上がったという連絡がない、と言っていました。(詐欺じゃないですよ、念のため)
    高名な職人です。待たされること自体が、彼の喜びのようなんですね。5セットもあるから、いま必要なわけでない。「いつ来るか」というワクワク感が続くだけに、納品は遅れるほうがいいようなのです。
    伝統芸能の世界、趣味の世界というのは、こんな現象がありますね。そこにはやはり、信頼関係とか顔の見える関係が必要な気がします。農産物も「腹を満たすため」であれば、誰が作ったものでもいいが、「安心なもの」であれば、農家の顔が見えるほうがいい。こういうビジネスは、必然的にグローバルでなく、地域的にも業域的にも狭くなりそうですね。

  2. 椿事 より:

    ライフワークと、ライスワーク。面白い造語ですね。強烈なインパクトで、記憶に残ります。

  3. biznavi より:

    電通のディレクターさんと雑談している時に教えて頂きました。好きな言葉です。

  4. biznavi より:

    お店の商品を展示する時も、山積みするよりは、少量展示していた方が、遥かに売れ行きが良い。人の心理って面白いですね。

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