機械化による合理性

2012年4月14日 土曜日

良く見かける光景。省人力化を目的に機械の導入を行っているのに、その機械の使い方を説明するために係の人がいる。

例えば、JRの改札機。特に通勤時には、かならず係の人が一人か二人たっています。例えば、新幹線の切符の販売マシン。ここにも係の人が立っていて、使い方を教えていたり、極端な場合は、そこに係の人が立ってそうさしています。

この光景は銀行でも観察できます。ATMの前に係の人が立っています。銀行窓口の順番を案内するマシンの前にも。何のために、機械を導入しているの?って突っ込みたくなります。ヒトが立っているからといって顧客満足が高くなったり、効率があがるとは考えにくい場合もです。

飛行機のチェックインの機械も同様です。特にANAとJALの2社は人が沢山います。飛行機に搭乗する際も同様です。マシンでチケットを読み取るので動員するスタッフは2人も入れば十分なのに、常に4人以上のスタッフがいます。だからといって顧客サービスが向上しているとは考えにくい。

他にも意識して日本の普通の生活シーンをみていると、そのように感じることが多々あります。

投資をし、効率を上げていく目的なのに、ヒトが余ったから、そこに立たせている。なんか、そんな感じに見えるような無駄なことが尽きません。一方、米国やヨーロッパの国々では、合理的な目的で機械を導入している場合、ヒトが隣に立っていることなぞ考えもしないと思います。実際にそのような機械化を進めている設備には誰もいません。

機械化が進み、淡白な世の中になるのもいやです。昔のように人が接して、互いに言葉を交わしながら進めるアナログのサービスは今でもほっとします。しかし、合理化を進めなければならない状況では、逆に中途半端はマイナスだと思います。ニュートラルに曖昧にするよりも、メリハリをつけた考え方をもつ。我々にややかけていることかもしれません。一方で、この曖昧さが良いのかもしれません。



コメントをどうぞ

CAPTCHA