マーケティングのジレンマ1)

2006年9月30日 土曜日

早嶋です。



ドン・ダンカン(Don Duncan)、ヨーヨーを世界的に広め、ヨーヨーブームを作ったた天才マーケターです。ダンカンは、当時ブームになりつつあった玩具、yo-yo(ヨーヨー)の商標登録権を手に入れた後、当時としては活気的なマーケティング手法でヨーヨーの需要を喚起しました。しかし、ヨーヨーを世界に広めすぎたために最後は会社を潰してしまったのです。



ダンカンの偉業は、彼の会社、The Duncan Yo-Yo Companyが35年間もアメリカのヨーヨーシェアの80%以上をキープする製造会社であったことから分かります。



ダンカンの初期のプロモーションは、当時でも珍しい無料広告です。ヨーヨーの需要を掘り起こすため、全国でヨーヨーコンテストが行われていました。ブームも追い風になり、コンテストに参加したい人は後を絶たない状況が続きました。



ダンカンは新聞社をスポンサーにしてダンカン主催のヨーヨーコンテストを数多く行いました。ダンカンは、コンテストの参加者に新聞の購読を進めることで、新聞社から無料広告掲載の権利とコンテストの商品を提供してもらうというモデルを構築しています。



また、ダンカンはヨーヨーを著名人の露出を絡めてPRする手法も行っていました。今では、CMに芸能人やスポーツ選手を起用するケースは当たり前のように行われていますが、それを60年も前から行っていたわけです。当時は、メディアの発達が無かったので著名人の効果はその地域に限られており、逆にその地域に著名な方がいなかったケースでは、市長や警察署長などをモチーフにキャンペーンを進めていました。



ダンカンは、プローのヨーヨーデモンストレーターを雇い、様々なマーケティングをうちヨーヨーを世界中出販売しました。60年代前半のピーク時、27人の専属プロデモンストレーター、1日に60,000個のヨーヨーを製造していたそうです。



さて、ダンカンのマーケティングが何故、破滅に導いたのか?ダンカンは40年以上にもわたり玩具のヨーヨーをプロモートしてきました。そのためにヨーヨーという言葉が一般的な言葉になったのです。



そこで、ダンカンが使っている商標のyo-yoに対して競合会社のロイヤルヨーヨーのJoe Radovanがyo-yoに対する独占権を訴えたのです。彼は、ダンカンのデモンストレーターの1人でダンカンを去った後、自分の会社を立ち上げています。長い法廷での戦いの末、ヨーヨーの商標は剥奪され、ヨーヨーは一般的な呼称となりました。



ヨーヨーという商標を失ったダンカンは、次第に他のメーカーとの差別化ができなくなり破産という結末になったのです。



この話、最近の「グーグる」にも懸念されている話ですね。続きはまた今度。



—ただ今、ブログマーケティング実験中。—



実験の詳細は、『ブログマーケティング実験』『ブログマーケティング結果報告』をご覧ください。



中小企業」「マーケティング」「コンサルティング」「経営コーチング」「経営診断」「MBA



コメントをどうぞ

CAPTCHA